50歳の今、確信として感じることなですが、この「何だか好き、なんだかやりたい」と言う感覚は、本当に大事にした方がいいと思います。スルーしちゃダメです。だって、本当に神様からの贈り物だから。
ただ、この感覚って本人だけのものなので、人は「なんで?」って尋ねてくる。でも、そんな時、別にきちんと答えられなくてよいのだと思うのです。
というか、理由なんかない方がよほど説得力がある。

私も「なんで湘南だったんですか?」とか「なんでシェアハウス?」ってよく聞かれますが、実はそこに深い理由は特にない。
もちろん、理由を深く掘り下げればそこに繋がる水脈はいくつもあって、それを無理やり説明として繋げて伝えることは可能。だけど、そうやって答えると周りはそれで納得してくれるんだけど、説明してる自分が今度は納得できなくなってしまったりと言う、不可思議なループが起こってくるw

もちろん、私も人に「何で●●なんですか?」的質問はよく投げかけるけど、「特に理由なんてなくて・・・」と答えられるとなぜか無性にホッとします。
あぁそうなんだ、そこが始まりなんだ、じゃあ本当の気持ちだなってw

今回、週末を使って「本当の仕事ワークショップin 葉山」に参加したのですが、ここではその気持ちを「純粋意欲」と呼んでいて、セミナーでは、普段の生活ではそのまま閉じてしまいがちな「自分の心の声」(純粋意欲)をとことん取り出していきました。
参加したみんなが一生懸命で、その場のエネルギーがそれこそ純粋で、柔らかい生の心に触れられる贅沢な時間でした。

純粋意欲とは、ただ自然に湧いてくる「やりたい!」と言うエネルギー。
やった結果がどうなるかは関係なく、やることだけが目的である気持ち。
泉のようにどんどん湧いて出てくるから、サステナブルで循環可能な想い。

多くの人が、やりたいことをやるためには、やりたくないことをやらなければならない、そう思い込んでいるけれど、本当はどうなのかな?
今って、そっちの価値観からあっち側へ飛ぶことができる、そして飛ぶ人はどんどん飛んでいる、そんな時代の大事な潮目のように感じます。