3月は卒業・別れの季節。
同様に、#910(東逗子シェアハウス”ここのつとぉ”)でも別れがありました。
#910で丸5年暮らした住人の、転勤による退去。
毎月の島民の集まり(「自治会」と呼んでいます)には、彼女の退去をきっかけに7人もの元島民が里帰りし、合計17人が大集合という過去最大人数の自治会となりました(驚)
自治会では、食事が落ち着いたところで自分の“今のあるがまま”を聴いてもらうシェアタイムがあるんです。
みんなが一人ひとりの話を、じっくり、ちゃんと聴く。
この時間はとっても大事で、話すことを事前に考えておくこともあれば、何も用意せずその場で心に浮かぶことを話すこともあります。
今回私は勇気を出して、自分の思いと願いを話しました。
で、何を話したかの前に、ちょっと説明。
わたし、傾聴の講座を開催しています。
人との豊かな関係性は、自分から創っていけることを一人でも多くの人に知って欲しくて。
それには「聴く」が欠かせないと思っていて。
だからもちろん、その会には島民のみんなにも参加してほしいと思っています。
でも、910島民がその講座に参加することが、実は、あんまりなかったんです。
それが、本当は少し寂しくて、どうしてかな?とも思っていました。
#910には風土や文化として「聴く・聴いてもらう」があるから、敢えて講座に参加して学び直すことはいらないのかなとか、講座の参加を押し付けたくないしとか、いろいろ解釈していました。
でも、本当はそうじゃない。
本当は、わたしが、自分の思いをみんなにはっきり明言してこなかったんです。
なぜなら、言うのが怖かったから。
だって、大切なことすぎるから。
そして、島民のみんなが大切すぎるから。
大切なことすぎて、自分が伝えて、もし相手に受け取ってもらえなかった時のことを思うと痛みが大きすぎて。
だから、私が大事にしている「聴く」ということを、一緒に暮らしているみんなだからこそ共に学び合いたいという思いを真っ直ぐに伝えてこなかった。
でもそれって、「受け取ってもらえない」が前提にあることだと気がついたんです。
きっと受け取ってもらえない。
だから自分の思いをまっすぐ話さない。
結局、相手に自分の思いが理解されずに、残念なことが起きる・・・。
そんな失礼なことってないじゃないですか!
島民や元島民が17人も集まって、
みんながただじっと心を寄せて私の気持ちを聴いてくれるその日に、
「きっとわかってもらえない」と思い込んで、一番伝えたいことを言わないで何を言うというのか。
私は、やっと、自分の思いを言葉として出しました。
講座を開催しているから、みんなにも参加してほしい事。
これまでもずっとそう思ってきたけれど、受け取られないのではないかと思うと、怖くて出せなかった事。
これからは、自治会で次の予定を案内するから心に留めてほしいこと。
みんなが私の気持ちを受け取ってくれていることをしっかり感じ取りながら、そのままの自分をそこに差し出しました。
そして、とても清々しかったんです。
自分を大事にすること=自己愛とはこういうことだと、改めて実感しました。
自分の思いをそのまま出す。
それだけでいいじゃないか。
受け取ってくれない事が起きたら、伝え方をもう一度工夫してみる。
相手がその後どう行動するかは、みんなの自由だ。
自分の思いを尊重する。相手の思いも尊重する。
それだけのことでいいじゃないか。
今日から4月。
新年度、新学期、それぞれ何かが新しく始まる日。
自分にまっすぐつながって、それをそのまま表現していきたいものですね。