聖心会シスター鈴木秀子さんが、新刊「あきらめよう、あきらめよう」を上梓されました。

 「聖なるあきらめ」はコロナの時代を生きる心の処方箋です。
 不安、イライラ、怒り、執着を消すヒント 

と表紙にあるように、まさに処方箋の効果を実感中!!

読み終えた今、私の心は深く温かい感謝の気持ちで満たされています。

鈴木秀子さんがおっしゃるには、

 もともと「あきらめる」には二つの異なる意味があります。

 ひとつは「諦める」「投げ出す」「執着しない」という意味です。
 そして、もうひとつは「明らめる」と書きます。これは、仏教の言葉で、「物事を明らかにする」「真理に達する」「つまびらかにする」という意味を持ちます。

 「聖なるあきらめ」の第一歩は、現状を把握するための「明らめる」ことから始めます。すると、物事には「自分の力で変えられること」と「自分の力では変えられないこと」との二つがあるのだとわかります。

 自分で変えられることを見つけたら、さっそく変えてみてください。

 一方で、変えられないことを無理に変えようと執着すると、自分も周囲の人も疲れてしまいます。自分で変えられないことは「あきらめて」みましょう。 
(P6〜P7より抜粋)

とのこと。

うむ。

5月末になって自粛が解除され、徐々に新しい生活様式へ移行していくフェーズになってきていますが、新型コロナウィルスが出現して私たちの生活は激変し、私たちは大きな不安に襲われました。

同時に、「コロナによる激震のど真ん中」にいながらにして「安心」「幸せ」を得た人、得た瞬間も多かったのでした。

振り返って考えるに、

安心が得られる時は、「家族がいる。友人がいる。時間がある。繋がりがある!!」など、目の前の「あるもの」に目が向いている時で、

不安になる時は、「安全がない。お金がない。」など、「ないもの」に目が向いた時だったように感じます。

コロナが始まった時、私は

「できることはやる。できないことはやらない。わからないこともやらない。」への仕分けをし、

現実的な条件の中で、自分も他の人へのダメージもより少ないあり方を模索しながら選択を続けつつ、

なるべくその中の「あるもの」「できること」に目を向け続けてみました。

そうしたら、一瞬一瞬が思いの外楽しく、とても心地よいもので満たされたのでした。

SNSを見ても、お手上げ〜あきらめの中で、多くの人が料理やガーデニング、読書や映画など、本当はやりたかったけど、これまでできなかったことを楽しんでいる様子がアップされていて、それを見るのもとても楽しかった。

 「あきらめられない」は執着の心から生まれます。
 「あの時ああすればよかった」「こうするべきだった」などと自分を責めながら、過去の時間の中で生きることです。 
あるいは、まだ来てもいない未来を先取りし、「こんなことが起こったらどうしよう」と、はてしなく悩み続けることです。 
過去と未来の時間の中で永遠の迷子になってしまうこと、これが最も強い執着です。

  「あきらめる」とは、この執着を捨てることです。  
(P7より抜粋)

確かに。

今に生きることが、あきらめること、なんですね。

執着を手放す第一歩は感謝の心を持つことから

・・・はい。

この本には、「あきらめる」ためのヒントがたくさん紹介されています。

この本を必要としていて、ご縁がある人に届くといいなと願っています。

余談ですが・・・・

自粛期間中、「自分の内側にあるもの」に目を向けていたら、私が見ないようにしていたあることに気付きまして。で、思い切って、あきらめたんですね。

(正直苦しかった)

すると、以前は気づいていなかった幸せ感が見つかり、自分だけでなく周りの人にも楽しいことが起こり始めたという後日談があります。

この件については、また改めてお伝えしますね♪

ハレルヤ

あきらめよう、あきらめよう 鈴木秀子(アスコム)