ミヒャエル・エンデの名作『モモ』って、読んだことはありますか?

時間泥棒から時間を取り戻すファンタジーの名作として知られていますよね。

私は、鈴木秀子先生から聴くことの重要性を教えていただく中で、「モモのあり方が傾聴そのもの。参考にしたら良い」と言われたことをきっかけに初めて読みました。

今は、i-colorと「傾聴」から自分を紐解くVision Quest講座の課題図書としても取り上げていることもあって、定期的に読み直しています。

その『モモ』が、「100分de 名著」(NHK Eテレ)のテーマとして取り上げられているとのこと、とても楽しみにしていました。

8月3日が1回目の放送日、改めて気づきの深まる時間になりました。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。

相手の話を聞くことでした。

さらりと書いてありますが、人の話を聴くって本当に難しいです。

一般的に、人の話を聴くためには「心を空っぽにすること」が大事だと言われていますけどね、心を空っぽにするなんて、全然出来ません!!

頭の中は相手の言うことに反応した自分の意見や考えでいっぱい。

人の話をそのままの形で受け取る余裕なんて、ほんとーにないです。

でも、モモにはそれができたんです。

それはなぜなら、モモの心の中には「豊かさ」があったから、と言うのです。

モモは、一人の時間を壮大な星空の下で過ごし、どこからともなく聞こえてくる音楽で心を満たしていました。

豊かさは、その時間の中で生まれていた、と言うのです。

そうかぁ。。。

モモは、心をただ「空っぽ」にしていたのではなかったのね。。。

そういえば、「聴く」とは、心の中のお部屋をきれいに整えて、お客様をいつでも招き入れることができる状態にしておくこと、と教えてもらったこともあったっけ。

話す側に立って考えてみると、話すこととは「放す」こと。

自分が知らぬ間に掴んでいる何かを手放すためには、心が自由な状態になっていることが大事だものね。

お茶が飲みたかったら、飲んだら良い。

眠たくなったら、寝たら良い。

何かを書きたくなったら、書けば良い。

その人の心が動いた時、自由にできる様に場所を整えて置くと言うのは、その場所をただ空っぽにしておくこととは違うんですよね。

ところで、話は思いっきりズレますが。

モモが星でいっぱいの空の丸天井で荘厳な静けさにひたすら聞き入っている様子って、Vision Questの新しいロゴを思わせません??       

(作ったロゴが気に入りすぎて、今日もロゴ自慢w)

それはさておき。

一度でも「最後まで聴いてもらった」という経験があれば、その経験はその人の心に埋められたタネとなって、いずれ人を癒す木や花に育っていきますよね。

だからこそ、やっぱり今日も私は「聴く」ところから始めたいって思います。

それは「たとえ明日世界が滅びるとわかっていても私は今日林檎の苗を植えるだろう。」という、ユダヤ・ラビの口伝書そのものなのではないかと思うんです。

Vision Questでのみちみち会は、何気ない話をそのまま聴いてもらう時間です。

何気ない話でも、まとまりない話でも「そうなんだね」と聴いてもらう時間の多さに比例して、自分の心の声を聴くこともできるようになります。

聴く〜聴いてもらうことにご興味がある方、ぜひお気軽にいらしてください。