2020年の夏。

コロナと過ごすお盆休みが終わりましたね。

全国的に帰省は控えめ、例年であれば賑やかな盆踊りやお祭りも自粛という静かなお盆だったのではないかと思います。

そもそもお盆休みは、ご先祖様や亡くなられたご家族に思いを馳せつつ、いつも見守ってくれていることへの感謝や、これからもよろしくお願いしますといったご挨拶の気持ちを伝えるための大事な時間。

そう考えると、ある意味原点に戻った静かな時間だったかもしれません。

祖先に思いを馳せるという点では、今、私は、「家系図」というものを作成しています。

そもそものきっかけは、今を遡ること6年前のこと。

私の友人が家系を辿る旅を通じてとてもエンパワーされていたんです。

その様子がとても印象に残っていて、いつか自分も先祖を辿ることをしてみたいな、と思っていたんです。

そうこうしているうちに時間が経ち、家系図コーチングを行っている山道紀子ちゃんのセミナーで「家系図の作り方」を教えてもらったのが、今から2年前。

のりちゃんから、日本には明治時代に戸籍制度がしっかり作られたため、ほどんどの人が江戸時代末期のご先祖様まで辿ることができると聞き、驚愕しました。

え、え、江戸時代!!!!

私は自分の過去世が「江戸時代末期の町娘」だったと勝手に信じているのですが(笑)、戸籍を辿れば、自分の肉体としてのルーツを少なくとも江戸時代まで遡れるなんて!!!

そりゃもう、心が踊りましたよ!!

家系図の作成は、まず自分を起点にした戸籍を取るところから始めるんですが、こんなにワクワクしながらお役所で自分の戸籍を申請したことはなかったです!!

そうは言っても、そんなに簡単に戸籍の取得がサクサク進むもんでもなくてですね。。。

戸籍を取るには、それぞれの本籍地にある市町村役場に申請することが必要なのですが、祖父・祖母より上になってくると、これがなかなか難しい。

とにかく、戸籍の解読は難しい。。。

そもそもその前に、戸籍に書かれている旧字が読めない!!!

結局途中で挫折し、2年ほど放置してからの、今回。

三度目の正直!

先日、やっと、母方の祖父、父方の祖父、父方の祖母から上の戸籍を取得しました。

ほんとにね、申請して、市役所から届く封筒を開ける時のワクワクと言ったらもう!!

自分のルーツがまた一歩深まる手応え感があるというか。。。

今回は、母方祖父の戸籍を読み解いているうちになんとも言えず切ない気持ちになりました。

もともと母方の祖父は養子縁組されているのですが、その祖父の父は、婿養子として結婚しているようでした。

よく読むと、お二人とも結婚したのが30代後半。

(当時にしてはかなりの晩婚?そこにも何か物語や背景がありそうな。。。)

そして、祖父が養子で引き取られた後に、子供が二人生まれているのですが(計算すると、驚愕の高齢出産)、その二人とも生後間も無くして死んでしまっているのです。

なんと言うことでしょう。。。涙。

戸籍は、名前と生年月日、婚姻年月日といったシンプルな情報ですが、そこから不思議と、継がれていく「家」への重みが感じられてくるのです。

もう少し読み込むと、祖父の養父は、祖父が15歳くらいの頃に他界しているようです。

あぁ、そうなんだ。。。

その後、祖父はどのような思いで生きたのかな。。

祖父は、私が幼稚園の頃に癌で他界したので私にはあまり記憶がありません。

ですが、相当な痛みにも泣き言を言わない、心の強い人だったそうです。

育ちの環境が祖父をそのようにさせたのでしょうか。。。

本音を言うと、当初私は、祖父の家系が血の繋がっていない養子縁組という形で続いたことを、少し残念に思っていました。

どこかで「血」が繋がっていて欲しかったんです。

でも今は、大事なのはそこじゃないんだ、家を繋ごうという気持ちが大事なんだ、と、繋がりの全てを受け取っている感じです。

そして、そのような関わりから続いている自分の存在について、以前と違った重みを感じるんですよね。。。。

同時に、ご先祖様の視点に立つと、あの方達は一体わたしに何を託しているのだろう、とも思ってしまうのです。

「これだけ頑張って繋いだんだから、お前も頑張れ!」

なのでしょうか。

それとも、

「自分たちはやれることをやった。あとは任せた。あなたは好きに生きなさい。」

なのか。

個人的な解釈は、後者かな、と思っています。(いつものように自分に都合が良いですw)

でも、命という全体性を考えると、その方が自然に思えるんです。

だって、生きている間は人間の欲やエゴにも翻弄されたであろうご先祖さまも、今は魂の存在として「一つの命」に戻っているはず。

そうであれば、無条件の愛の存在として、子孫の私たちにエールを送っているとしか思えない。

実は、お盆の最後の日、父のお墓参りに車で行こうとしたのにエンジントラブルでやむなく自宅に戻らざるを得ないという出来事がありました。

電車に切り替えて再出発することもできましたが、潔く取りやめて、実家のお仏壇でお線香をあげることで良しとしました。

父は、私がお墓参りに行ってたら持てなかったはずの時間を、私にプレゼントしてくれたんだと思ってます。

ミヒャエル・エンデの『モモ』の中に、「時間とは、生きることそのもの。人のいのちは心をすみかとしている」という言葉があるように、

父は私に「心が何かを感じられるような時間の使い方をしなさい」とが伝えたかったのかもしれません。

ここ最近、時間に追われるような生活をしていた私へのメッセージに感じられます。

家系図作りはもう少し続くのですが、完成までのプロセスを楽しんでいこうと思っています。

みなさんも、家系図作り、やってみませんか??

自分への見方が少し変わってくるかもしれません。

 家系図コーチングの山道紀子さんはコチラ
 https://www.kakeizu-coaching.com/