週末、1泊で森に行ってきました。森というのは、山梨県道志村にある「養老の森」のこと。

縁あって、私はここに数年前から通っているのですが、今回はみちみち会のメンバーと一緒。

*みちみち会とは、「人の話を聴く」ことと「人に自分の話を聴いてもらう」の両方を行い、自分と人とつながる会。私が主宰する"Vision Quest"活動の一つです。

古民家を拠点としながら、昼・夜・朝という3つの時間を森で過ごすんです。

何のために?と聞かれると困っちゃうんですが笑。

あえて言えば、ただ森に自分がいること、自分があること。そのことを感じるため。

って、なんのことか、わかんないですよねw

私たちは日常的に、外の世界を気にしながら「何かのためにやる」という目的思考で働き続けていて、目的や結果を追い求めないことなんて、ほとんどやらないですもんね。

でも。

目的をなくし、空っぽになったところに流れてくるもの。

結果を出すとか、がんばって価値を出すとか、承認されるために何かをすることから離れた時に立ち上がってくるもの。

それが「感じる」なんだと思うんです。

森では、すべてがあるがまま。

そんな森に優しく包まれ、自然と五感が立ち上がってくる状態で、昼、夜、朝というそれぞれの時間を味わうんです。

森はいろんな色にあふれていました。

昼と夜、そして朝。それぞれ味わいが異なりました。

いろんなかわいらしいものに溢れていました。

そしてね。

夜の時間では、森の中を歩くんです。

これが、とっても面白いの。

夜の森を歩く時は、ライトはつけません。

みんな、それを初めて聞くと「わけがわからない。危ない!こわい!!」と言います。

当然ですw

木に覆われて真っ暗な道を歩くんですから。

でも大丈夫。わずかであっても、今回は月明かりがありますw

そんな風にそろそろ歩き出して感じることは人それぞれ。

見えないものが見えるんじゃないかと怖くなったり、足元が見えなくて転ぶのではないかと不安になったり。

声を掛け合いながら進み、少し開けた場所に着くと、空からの月明かりで周囲が見えるようになって、少し不安が和らぎます。

そこで、各自思い思いの場所に、持ってきたシートを敷いて寝っ転がりました。

満点の星空を見上げながら、私は、星空と対話しました。

これまでに見たたくさんの星空を思い浮かべていました。

林間学校、キャンプ、友人との旅先、カミーノ巡礼の路・・・、どんな時にもそこには星空がありました。

星空を背景にしたたくさんの思い出が今の自分を創り上げていることを星空に教えてもらい、じんわりと目の奥が熱くなりました。

何にというのでなく「全てがありがたい」という気持ちが湧いてきました。

いったん古民家に戻って、いろりを囲みながら一人一人、みんなで気持ちをシェアしました。

夜の森を歩いたのが初めての人、2回目の人、何回か経験している人では、感じ方に違いが出ます。

ある人のシェアを聞いて「夜の森に慣れている」かどうかが感じ方に大きく影響することに気づきました。

そう。

慣れていれば、恐さは減るし、気持ちには余裕が生まれますよね。

実際、ガイドをしてくれている方は、夜の森であっても、私たちの方を向いて(つまり、本人にとっては後ろ向きに)歩くんですもの。

慣れているって、すごいです。

私で言えば、森の道の様子もなんとなくわかっているし、今はほとんど恐くないです。初めての時は、真っ暗な夜の森で、めまいがするほど恐怖におののいていたというのに。

恐さが減った分、心はリラックスして五感も開きます。

虫の音の強弱を聞き取ったり、風がどこからどこに向かって吹いているかを頬で感じたり、ひんやりとして柔らかい土の優しさを背中から腰にかけて感じてみたり。

でも、「慣れ」が安心をもたらすのは良いけれど、「わかった気」になって感じる心をスキップさせてしまうこともあるよなぁ、と。

「慣れ」と「わかった気になる」こと。

この間をあちこち行き来しながら自分の「今」を感じ取ることができたら良いなぁと思った夜の森でした。

一緒に森に行ったmiwaちゃんも、この時の様子をnoteにまとめています。

彼女の気づきも、また個別の体験で素敵です。是非ご覧ください

「人生はセット。」
https://note.com/miwita/n/nd0c3e91e5269