久しぶりに「自分年表」を見直しています。
というのも、Compasea(人生のための学校)のゲスト講師として、オープンクラスを担当するからなんです。

自分の年表を改めて俯瞰してみると、人生には「大事な岐路」というものがあり、その岐路において自分が何を大事にしていたかがよく見えてきますね。
同時に、いかに自分自身の気持ちに丁寧に向き合っていなかったか、ということも見えてきます。
私にとっての大きな岐路は、妊娠での退職、娘の入園での退職、夫の6年間に渡る単身赴任、でしょうか。
どれも、私が我慢するしか仕方がない、と思っていました。
「仕方がない・・・・・・・・」
あぁ、なんという「無力感」を感じさせる言葉なんでしょう。。。。
でも!!
当時の私は、なぜ「仕方ない」の一言でそんなに大事な決断をスルーできたんでしょう!?
あぁもう!!
今となっては、当時の自分にこう言ってやりたい!
「なんであなたが我慢しなきゃいけないの?」
もとい、
「我慢しなきゃいけないと『思いこんでる』の???」
「自分の心の声に耳を澄ませ!」
と。
(そう言えば、「鬼滅の刃」で炭二郎も同じようなこと言ってましたよね)
ほんとにもうっ!!!
でも、当時の自分は、他に選択肢はないと思いこんでいたんです。
思い込んでいる状態というのは、
自分の中の違和感に耳を澄まそうとしていない、
自分の内側にある大切な真実に繋がっていない、
本当の気持ちは何かを受け止めようとしていない状態のこと。
同時に、自分の気持ちを聴いてくれる人が周りにいなかった、という事情もあるかもしれません。
もし、当時私のそばに、私の話を判断なくフラットに聴いてくれる人がいたら、私は自分の話をたくさん丁寧に聴いてもらっていたことでしょう。
もしくは、そういう人を探すことだってできたのかもしれません。
とにかく、今から思えば、仕方ないことなんて一つもなかったんです。
他に「仕方はあった」はずなんです。
結果的には同じ決断を下していたかもしれません。
ですが、その結論に至るまでのプロセスが違う分、何か他の展開になっていたはずなんです。
さて。
もし、もう一度自分に同じ機会が与えられたらどうするか?
きっと、どう決めるか、という結論は急がないと思います。
本当の気持ちは何か、どこにあるか、丁寧に自分の気持ちとの対話を行うことでしょう。
信頼できる人に、たくさん自分の話を聴いてもらうと思います。
とは言え・・・・。
一方では、あのような自分であったことがダメだったとは言えないんですよね。
あのことがあったおかげで、今巡り巡って、「聴く」ことの大切さ「聴いてもらう時間や場を大事にしていることにつながっているわけですから。
それに、他にも日常の生活の中で良かったかけがえのないこと(子どもたちの成長をそばでみることができた、別の仕事に巡り合ってご縁が広がった、など)もたくさんあります。
そう考えると(少し逆説的になりますが)あれはあれで良かった、これで良かったのだ、としみじみ思えてくるのが不思議です。
結局何が起こってもそれで良いのだということ。
起こることが起こって、それは良いようになっていくのだということ。
そんなこんないろんな話を、Compaseaの時間でお伝えできればと思います。