定例、朝のお世話時間における老母・昌代との対話が意味深かったのでシェア
昌代 :昨日からしんどいのよ。本当はセンター休みたいんだけど。。
ここの:(泣き言を軽く無視しつつ)そっかー。で、朝ごはんはどうする?お茶漬けでも食べる?
昌代 :(お茶漬け出され、仕方なく食べながら)もう地獄の一歩手前だわ。。
ここの:ほぉ、地獄の手前って、すごい瀬戸際感、きついねぇ。ちなみに地獄と今の生き地獄、どっちがいい?
昌代 :地獄は行ったことがないからわからん
ここの:そりゃそうだったw ところで地獄に行く前に、この人生での後悔って、何かある?
昌代 :そんなんないわ(即答) 行きたいところ行ったし、食べたいもの食べたし、言いたいこと言ったし。
ここの:え?そうなんだ!(意外)じゃあ、今は何が残ってるの?
昌代 :感謝の念だけが残ってるのよ(誇らしげw)
ここの:すんごい!最後にそれが残ってるって、すごい!
昌代: そう考えると、幸せなことだわねぇ。。でも、だからお釈迦さまとかが現れるんだと思うわ。ここの:ほぉぉぉぉ。。。なんか感動する。。。センターの他のご老人たちはどうなんだろう。今日センター行ったら忘れずに聞いてきてよ。
毎朝こんな和やかな対話が繰り広げられていると言ったら大間違いなんですが、時折、このような宝物のような時間が訪れることがあります。
日常の中にある、かけがえのないあったかさ。
実は、今日の「人生での後悔は何か」という問いは、LISTENという本の第16章にあった問いなんです。それに対する90代のおばあさんの返事が秀逸で、私も聞いてみようと思ったわけです。
そして、うちの母の返事も等しく秀逸でありました。
母が元気で血気盛んだったころは、父とはしょっちゅう喧嘩するし、いろんなことに文句言うし、人生への泣き言を日々垂れ流すし。
母が幸せに見えないことは、幼かった私にとって、非常に悲しいことでした。
が、それも全部ぜーーーーんぶ「むかし」のこと!なんですねぇ。。。諸行無常。
「お母さんは、あの時あんなこと言ってたじゃん。当時の私はすごく辛かったのに!!」って言い続けるのは、癒されていない昔の自分の気持ちの責任を取れと親を責めたいだけのこと。
そういう気持ち、もちろんあっても良いけれど、相手に向けるのは極めて意味のないことだとしみじみ思いました。
「今」の自分はどうか
「今」の相手は何を感じているのか
「今」と言う時間を生きる人間同士として付き合っていくことが平和への第一歩なんですよね
とにかく、90歳目前、地獄の一歩手前で、母は人生に悔いなし、だそうです
よかったよかった