我が息子、幼稚園時代からおよそ20年に渡ってアメリカンフットボールを続けてきていたんですが、この3月、とうとう所属チームを引退しました。

引退の理由はさておき、祖母・昌代は、選手である我が息子を応援し続けた貴重なファンの一人だったと言えるでしょう。

そんな母に、実は私、息子のアメフト引退の事実を伝えられずにいたんです。

だまっていることによる罪悪感と、引退を知ったらがっかりするからという正当化の間で悩みながらも「敢えて話を切り出すこともないよね」とずるずる。。。

そして今朝のこと。

昌代「テレビを見ていたらアメフトのコマーシャルが流れたのよ。あの子を一生懸命探したんだけど見つけられなかったわ。(どのCMかは不明。夢の世界の話かもしれないのでそこはスルー)もうすぐ試合よね。今年は試合に出られそうなの?」

とうとう来た、って思いましたよね。

ただでさえ年老いて楽しみが減っている母に対して、事実を伝えるのはいやだ、悲しい表情は見たくないって思いました。

また適当にお茶を濁して話を逸らそうか、って気持ちが揺れました。

でも、覚悟したんです、彼の”引退”を言うのは今しかない、って。

でね、意を決して言いましたよ、スッパリと。

ここの「えっとですね。あの子は、今年の3月でチームを引退したんです。彼なりにいろいろ考えた末の結論のことだと思います」

昌代「あらぁ。。。。そう。。。。試合にも全然出れてなかったしねぇ。。。。でも、去年で引退するって前もって言ってくれてたら良かったのに。引退するってわかっていたら、無理してでも応援に行ったのに」

何も言えなかったですよね。

ただ、

「あの子は、引退するとかしないとか、そんな先のことは考えずに、精一杯去年のシーズンを頑張ったと思う。その結果、出てきた結論が引退だった、それだけのことだと思う」

という私の考えは伝えました。

わかっていたら、行ったのに。

言ってくれてたら、行ったのに。

これほどまでに無力で残酷なつぶやきはないって思いましたよね。

誰だって「そうなる」ってわかってたら、後悔しないように、とっくにやることやってますよ。

母の残念な気持ちは十分伝わってきたけれど、やり直すことができない過去について(誰かが自分に)言ってくれてたら私はそうしたのに、と人を巻き込む。

母は、そんなふうに私を母の人生に巻き込んできたな。いえ、私が勝手に母に巻き込まれてきたなって改めて振り返りました。

「そうなるとわかっていたら、私はこうしたのに」と、自分で不幸を創り上げているように見える母が残念で、少しでも母に幸せを感じて欲しくて、私はがんばったんだよな、と。

で、結局母を幸せにしてあげられない無力感と罪悪感から抜け出たくて、母以外の”世界”に対して頑張ることをし始めたんだって。

これらはもちろんすべて無意識で、私が自分から母に巻き込まれて生きていたわけですけどね。

(これが、母娘あるある、か)

今回もまた、試合に連れていかなかったことへの罪悪感が一瞬立ち上がりました。

でも、その都度母の体力やその他を考えながら結論を出してきていて、そこには納得しながら連れて行けるときには連れて行ってたし、その時の最善を尽くしていたな、と。

改めて、毎日毎日の、ひとつひとつの小さな選択を丁寧にしていこう、思うような結果にならなくても”あのときは、あれが一番の選択だった”と自信をもった選び方をしていこうって思いました。

とりあえず、最大のファンだったおばあちゃんにさっぱり会いに戻ってこない我が息子には

「おばあちゃんがこんなに急に死ぬってわかってたら、もっと早くに会いに行ってたのにとか、そんなのほんと、遅いよね」

ってメッセージだけは送っておきました。

これがこの日できた最大の選択、ということで。